セールが終わって

夏のセールが終わった。

かなり多くのお客様にご来店いただき、
かなり多くの服が売れていった。


半額だった。

ただでさえ激安販売している服を、
半額で売った。

服だということを考えると、
もはや悩む必要の無い価格帯。
大量に買うお客様(100枚以上買う方も!)
も多数おり、飛ぶように服は売れていった。


祭りは始まり、
そして終わっていく。

水面下で準備が進められた悲劇は、
セールの後、ひっそりと幕を開けた。


売れ残る服がある。



半額で、なお売れ残ったTシャツ。

何がいけなかったのだろう。
全てのTシャツが複数の目に触れたことは確実であり、
そして、それらは彼らを選ぶことなく通り過ぎていったのだ。

特別汚れてもいない。
素材やデザインが奇抜すぎるものもない。
そもそもTシャツだ。
そんなに差がつくとは思えない。

だけど、それらは、売れ残った。


52円で売れ残った服。

52円。
もはや服の値段ではない。
でも売れない。
服としての価値を完全に否定されている。

多くの人の話し合いにより決定され、
多くの人の手を介して作り出された一着の服。
多くの人の力で店頭まで運ばれ、
多くの人の目に触れ、
そして、売れない。

その服たちと、
これから私たちは一体、
どうして時間を過ごしていけばいいのだろうか?


子供服も残っているものがある。


子供の服は親が買う。

売れ残った子供服はつまり、
親が、愛する子供にとって良くないと判断したものだといえる。

着ていることで、みすぼらしいと思われると判断したのか。
着ていることで、教育上良くないと判断したのか。

デザインが好みではなかった、
というレベルの価格帯ではない。

嫌われたのだ。
決定的に嫌われたのだ。

整列したこの子供服達は、
嫌われた服の羅列だ。


セールが終わり、
お客さんの買い物は終わる。

だけども、店は続く。
悲劇も、続く。


このことは、また機会を改めて
考えていきたいと思う。

 


2018年08月14日